チベット偵察行
隊員 平井 一正 米山 悦朗 雨宮 宏光
期間 2001年5月1日-5月27日
発端
いまどき、パイオニヤ・ワーク、初登山でもありませんが、昨年平井 一正先生と山の話をしていたとき、
未知・未開のチベット東南部に話が及び、早速に「雪城神山」・・西蔵人民出版社出版・・の写真を眺めオーバ60で
登れそうな山として候補に上がったのが念青唐古拉山脈中段 当拉山「6,330m」でしたが、その後の調べで
この山は1995年に中央大学隊が登頂しており、改めて候補を検討、今回、川蔵北路の巴青と丁青の間唐古拉山脈
東南部の推定「6,200m/6,400m」を偵察することとしました。
資料はロシヤ製の1/20万地図、中国登山協会編集の青蔵高原山峯図で、現地詳細一切不明でしたが、出発前の
地図検討は楽しい時間でした。又、現地でロシヤ製地図の地形図の正確さに感心しました。
出発
平井先生には出発までに北京に2度出向かれ又、現地入域許可、行動等について再三の連絡を重ねていただき
5月7日,日本出発となりました。
高所順応
一番の懸念は成都「H600m」から突如「H3,650m」のラサ空港着その後毎日高度を上げて現地に至る間の
高所順応でした。
高所医学の大御所中島道朗先生の提案によりラサ空港着後、即ジープでガンダ峠「H4,700m」まで上がり下って
ラサ滞在とし順応する方法は効果がありました。
1日で4,600Mも高度を上げることに正直不安ありましたが、雨宮が当雄「H4,200m」で吐き気があった以外
平均4,000m以上の高原と4,200mから5,000mの峠を10ケ所超えまし たが高度障害全員に無く順調でした
25年間で走行46万キロのランクル活躍
おんぼろランクルでの走行はきわめて不安でした。パンク3回 シャーシ破損1回と峠の頂上でストップしたら
大変でしたが、何とかチベット大高原3.000Kを走行し無事昆明に着きました。
現地
長く鎖国で外人の入国が難しかった禁断の地”チベット”河口慧海、能海
寛、ヘディンなどが辛酸を経て至った
チベットへの道は今日本から1日半でラサ空港着、1951年北京で締結された中央人民政府とチベット地方政府の
平和協定以後1959年急速な社会主義化に不安を感じた旧貴族 僧院の反乱、ダライ・ラマのインド亡命、
1965年チベット自冶区成立と急激な変遷を遂げ、川蔵公路、青蔵公路、新蔵公路、雲蔵公路の完成は秘境チベットの
イメージを一変させましたが、未開放地域はいまなお未知の場所多く、限りない魅力を感じます。
バター茶と激辛食事に降参
醗酵したようなバター茶の臭みと川味と称する唐辛子の味つけはまったく口に合わず始め10日間ほとんど食欲無く
帰国後体重は6Kへってました。同行の平井先生 米山はまったく平気で羨ましかったです。飽食の日本から出発し
栄養失調状態で帰国しましたが、帰国して清潔なコーヒ・カップで香り豊かなコーヒを飲み、美味いトーストの朝飯を終え、
ウオッシュレットのトイレに座ったとき「日本最高」と思いました。
チベット風景
褐色の荒涼たる大地、眩しい紫外線、ルンタ「風の馬」の描かれたタルチョ「祈祷旗」がはためく峠のかなた、
高く連なる雪の連山、やくに家財道具を積み移動する家族、チャクツエル「五体投地礼」と「オン・マニ・ペ・メ・フム」と
唱える祈りの声、これらは昔のままで、チベットはまだ残っていました。
偵察
もっとも懸念した目標の山の位置確認は、中国語 チベット語 英語の達者なガイド「サンジュ」の活躍で確定可能でした。
広い川原をH4,150mまでランクルで突っ込みテント設営し2日間ルート偵察をやり米山はH5,100m付近まで
平井先生、雨宮は4,500M付近まで登り氷河と別ルートを見てきました。
詳細は後日山名同定し写真を添えて報告します。
偵察報告
目標。 布加カンリBugyai Kangri「6328m」N
31.8 E 94.7 未踏峰
接近ルートが果たして布加カンリであったのかと疑問があり帰国後,平井先生と
再三検討し以下の結論を得ました。
1 中国登山指南(CMA)には布加カンリとして緯度、経度の標示がある。
2 .接近した場所はこの位置である。
3 青蔵高原山峰図には6328M、ロシヤ製20万分の1には6255M、50万分の1
には6251Mとあるが標高差はよくあることで問題でない。
4 米国衛星写真からの判断では氷河地形が、現地と合わぬが、周辺すべてロシヤ製地形図を照合した結果から、この緯度、経度にある山郡は布加カンリである。
5 写真の山郡のどの部分が頂上かは今もって謎。
6 写真右端の奥の奥「ぼんやり写ってる」が頂上と推定。人民解放軍の5万分の1の地形図があれば頂上確定可能か又、中国登山協会がどのピークを頂上としているのか情報は入手不可。
山郡の写真は布加カンリ山郡の西、約50K付近の・アンガラ・からの撮影です。
接近した氷河はセラック多く上部プラトーまでのルート工作が必要
プラトーからのルートは不明
(雨宮 宏光記)
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